[天声人语]五月四日
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1楼
05月04日付
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■《天声人語》
晩年のアインシュタインに寄り添ってきた「最後の恋人」といわれる女性の日記が
米国で見つかった。女性は、81年に80歳で亡くなったチェコ出身のジョアンナ.
ファトバさんである。
ナチスから逃れて亡命したアインシュタインの米国での落ち着き先がプリンストン
高等研究所だった。ファトバさんはプリンストン大学の図書館員だった。ただし二人
のつながりはそれだけではない。
「アインシュタインはプリンストンでは決して安らぎを得なかったと思う。彼は戦
前のヨーロッパを懐かしがっていた。ファトバさんは、彼をひきつける旧世界に属し
ていた」という友人の見方をニューヨーク.タイムズが紹介していた。二人が初めて
会ったのは戦前のベルリンだったが、それ以前の縁もあった。
ファトバさんの夫の母ベルタ?ファンタ夫人は、20世紀初頭のプラハでは高名だっ
た。文化人が集うサロンを主宰していた。若きアインシュタインも出入りしていた。
プラハに暮らす作家のカフカは、このサロンでアインシュタインに会い、相対性理論
に関心を持ったという。
プラハはモーツァルトが愛した街でもあった。1787年の歌劇「ドン?ジョバンニ
」初演はこの街だったし、交響曲38番は通称「プラハ」で知られる。アインシュタ
インは古き良きヨーロッパ文化を体現するプラハの匂(にお)いを、ファトバさんか
らかぎとってもいたのだろう。
1日から欧州連合(EU)が東へ南へと大きく拡大した。プラハにも祝祭気分があ
ふれたという。新参者ではあるが伝統豊かな古都でもある。
转载自:http://www.asahi.com/paper/column20040504.html
05月04日付
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■《天声人語》
晩年のアインシュタインに寄り添ってきた「最後の恋人」といわれる女性の日記が
米国で見つかった。女性は、81年に80歳で亡くなったチェコ出身のジョアンナ.
ファトバさんである。
ナチスから逃れて亡命したアインシュタインの米国での落ち着き先がプリンストン
高等研究所だった。ファトバさんはプリンストン大学の図書館員だった。ただし二人
のつながりはそれだけではない。
「アインシュタインはプリンストンでは決して安らぎを得なかったと思う。彼は戦
前のヨーロッパを懐かしがっていた。ファトバさんは、彼をひきつける旧世界に属し
ていた」という友人の見方をニューヨーク.タイムズが紹介していた。二人が初めて
会ったのは戦前のベルリンだったが、それ以前の縁もあった。
ファトバさんの夫の母ベルタ?ファンタ夫人は、20世紀初頭のプラハでは高名だっ
た。文化人が集うサロンを主宰していた。若きアインシュタインも出入りしていた。
プラハに暮らす作家のカフカは、このサロンでアインシュタインに会い、相対性理論
に関心を持ったという。
プラハはモーツァルトが愛した街でもあった。1787年の歌劇「ドン?ジョバンニ
」初演はこの街だったし、交響曲38番は通称「プラハ」で知られる。アインシュタ
インは古き良きヨーロッパ文化を体現するプラハの匂(にお)いを、ファトバさんか
らかぎとってもいたのだろう。
1日から欧州連合(EU)が東へ南へと大きく拡大した。プラハにも祝祭気分があ
ふれたという。新参者ではあるが伝統豊かな古都でもある。
转载自:http://www.asahi.com/paper/column20040504.html
2015/3/10 22:39:26