[天声人语]11月3日(第六回)
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1楼
请勿转载,谢谢合作
日本語文学という言い方がある。日本人でない作者が日本語で書くことをいう場合が
多い。日本の植民地支配を受けてきた人たちの作品もその例だ。やむをえず日本語をつ
かわざるをえない苦さや悲哀もにじみ出る。
〈日本人にありしは二十年短歌詠むは五十年を越す死ぬまで詠まむ〉。こう詠んだ孤
蓬万里(こほうばんり)さんは、本名を呉建堂という台北のお医者さんだった。5年前
に亡くなった。彼がまとめた『□□万葉集』(集英社)とその続編は、本紙連載「折々
のうた」で詩人の大岡信さんが紹介したこともあって、大きな反響を呼んだ。
今春には、『□□俳句歳時記』(言叢社)が出た。「暖かい頃」「暑い頃」「涼しい
頃」「寒い頃」に分けて□□独特の行事や風物を解説し、例句も添える。たとえば夏の
夜店は、冬には夜市(ヤアチイ)といい〈幾曲りつづく夜市を抜けきれず〉と、にぎわ
う。こんな句もある。〈秋深き国へ発ちゆくバナナ船〉
著者の黄霊芝(こうれいし)さんは「私は日本語で妻を罵(ののし)るが、戦後派の
妻は□□語でまくし立ててくる。すると戦後生まれの娘が中国語で喧嘩(けんか)両成
敗に乗り出してくる仕儀だ」。この多言語家庭は、まさに歴史のなせる業である。
孤蓬万里さんは26年生まれで、黄霊芝さんは28年生まれである。自分たちで□□
の日本語詩歌はほぼ途絶えるだろうと思っている世代だ。その思いは、どんなに複雑で
痛切であることか。
詩歌を読んで「思わず我にかえる」ことの貴重さを、大岡信さんが説いたことがある
。□□の日本語詩歌にもそんな瞬間をもたらす力がある。
朝日新聞社のasahi.com 2003年11月3日から
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日本語文学という言い方がある。日本人でない作者が日本語で書くことをいう場合が
多い。日本の植民地支配を受けてきた人たちの作品もその例だ。やむをえず日本語をつ
かわざるをえない苦さや悲哀もにじみ出る。
〈日本人にありしは二十年短歌詠むは五十年を越す死ぬまで詠まむ〉。こう詠んだ孤
蓬万里(こほうばんり)さんは、本名を呉建堂という台北のお医者さんだった。5年前
に亡くなった。彼がまとめた『□□万葉集』(集英社)とその続編は、本紙連載「折々
のうた」で詩人の大岡信さんが紹介したこともあって、大きな反響を呼んだ。
今春には、『□□俳句歳時記』(言叢社)が出た。「暖かい頃」「暑い頃」「涼しい
頃」「寒い頃」に分けて□□独特の行事や風物を解説し、例句も添える。たとえば夏の
夜店は、冬には夜市(ヤアチイ)といい〈幾曲りつづく夜市を抜けきれず〉と、にぎわ
う。こんな句もある。〈秋深き国へ発ちゆくバナナ船〉
著者の黄霊芝(こうれいし)さんは「私は日本語で妻を罵(ののし)るが、戦後派の
妻は□□語でまくし立ててくる。すると戦後生まれの娘が中国語で喧嘩(けんか)両成
敗に乗り出してくる仕儀だ」。この多言語家庭は、まさに歴史のなせる業である。
孤蓬万里さんは26年生まれで、黄霊芝さんは28年生まれである。自分たちで□□
の日本語詩歌はほぼ途絶えるだろうと思っている世代だ。その思いは、どんなに複雑で
痛切であることか。
詩歌を読んで「思わず我にかえる」ことの貴重さを、大岡信さんが説いたことがある
。□□の日本語詩歌にもそんな瞬間をもたらす力がある。
朝日新聞社のasahi.com 2003年11月3日から
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2015/7/16 10:32:51